あらふら丸航海史

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あらふら丸航海史

昭和初期 - 戦前

「あらふら」とは、ニューギニアとオーストラリアの間にあるアラフラ海のことです。この海域では海底から真珠貝が多く採れることから、昭和初期から戦前頃まで多くの日本人が採取に出かけました。

当店の創業者・中村藤四郎もその一人。昭和7年に「あらふら丸」という名の船で、兄弟や有志とともにアラフラ海へ出航しました。しかし、第二次世界大戦とともに真珠貝採取漁は休止。開戦前に日本に帰国していた藤四郎が、大王町名田で貝ボタン製造工場を開きました。

あらふら丸航海史

戦後 - 現在

戦時中はボタン生産中止を余儀なくされたものの、戦後再開。しかし昭和33年に大陸棚条約が批准され、アラフラ海への入漁が禁止となりました。その後、真珠養殖に関わるとともに、真珠の加工・販売も手がけるようになりました。

平成元年には大王崎灯台下で、真珠の店「あらふら丸」をオープン。真珠だけでなく、洋裁や手芸、アクセサリー作りに適した貝ボタンや貝製品、貝パーツを取り揃え、販売しています。

真珠
ダイバーとテンダー(船上の補助夫)
真珠
船上での作業風景
真珠
大王崎
真珠
名田加工所